飯島先生

飯島先生

必ず歯科医師の仕事の面白さに気が付く時が来るから。

こんなに自分がしたことが直接的に人の幸せに繋がって、しかもそれを感謝される。そして、自分自身がそれに充実感を感じられる。僕は、そんな歯科医師の仕事を心から素晴らしいと思っています。正直僕も学生の頃はピンときていませんでしたが、これは遅れてやってくる感覚です。ですから、僕から言えることは、まずは遮二無二頑張ってみてください。いつか、何かの応えが返ってきた時に初めて自分の中で響くものがあるでしょう。

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プロフィール

ヒストリー

幼少時代

歯科医師である父親の次男坊として生まれ、祖父も歯科医師で、子どもの頃は自宅と歯科医院が隣接していたので歯科医院が“遊び場”という環境で育ちました。あまり記憶にはありませんが、よく絵本持って待合室の患者さんに読んでくれ、なんてせがんでいたらしいです(笑)
中でも好きだったのは技工室。技工士さんが色々作っている様子がすごく興味深かったです。その影響で、小さい頃は技工士になるって言っていたらしいです(笑)ただ、昔の診療室って結構乱雑で。それに加えて、よく子どもが泣いているじゃないですか。だから歯科医院での仕事に良い印象を持っておらず、『歯医者には絶対ならない』って思っていました(笑)

小学校~高校時代

小学校時代は一日中野球をやっていたり、冬は雪遊びをしたりと、割と外で遊ぶのが好きな子どもでしたね。中学校時代は部活も好きでソフトテニス部に所属しながら、母親の影響で机に向かうのが当然の環境で、何故だかわかっていないまま岩手の中で一番学力の高い高校、しかも一番偏差値の高い理数科へ行きなさいと勧められ盛岡第一高等学校へ進学しました。進路を決めて進学したというより、偏差値で行ける高校を選んだので目的もなく、高校時代もテニスしかしてなかったですよ(笑)中学校の時のテニス部の顧問の先生が好きで、高校2~3年生位の時はなんとなく将来は学校の先生になるのかな?大学は教育学部へ行こうかな?とふんわりと思っていました。学費もかかるしことですし、ひとまず受験勉強は国立大学向けの勉強をし、夏休みを迎えました。すると、母親から突然「歯学部へ行きなさい」と言われ、跡継ぎも必要だし父親がどうしても行かせたかったそうで(笑)昔から『歯医者にはならないぞ』と思っていたのでひと悶着蓋悶着ありましたが、説き伏せられ、渋々受験し合格。父親の母校の日本歯科大学へ進学しました。

歯学部時代

勉強は嫌いではなかったので落第しない程度でほどほどにやって、ストレートで卒業。ただ、正直当時は全然興味がなく、テストのためにただ文字面を覚えていただけでしたし、臨床の楽しみも見いだすことはできませんでした。なんなら、4年生位の時に違う大学へ行こうかな?と本気で思ったことさえありました(笑)教育学部や、どうせこの道に進むのなら医学部でも…と。色々なことを思いながらも、ただ、テニス部に入ってテニスをしていましたね(笑)
当時の自分に今声かけるなら
『お前もうちょっと将来を考えろ!』とか『未来を見ながら今の大事な時間を使わなきゃダメでしょ』とか『外に出て色んな人と交流しなさい、出来れば生涯の師と仰げるような人を探して歩きなさい』などと伝えてあげたい…本当に耳が痛いです(笑)

医局生時代

そんなこんなで、特にしたいこともないまま卒業。周りの皆がどんどん巣立っていった時、何にも進路を決めていなかった僕に、たまたま参加したテニス部の飲み会で大学の顧問の先生よりご縁をいただいて大学病院の医局生になることに。
それから15年。最初は、テニス部のイベントの時に快く参加させてくれる環境にとても居心地が良かったですが、次第に歯科医師という仕事の面白さにも気付き始めてきたんです。ある時から患者さんの配当が回ってくるようになった時に、漸く初めて、自分自身で何もできないことが痛いほどわかった時でした。患者さんへの申し訳なさが悔しさに変わって行ってからというもの、医局に山のようにある専門書を読み漁り、先輩にもご指導いただきながら主に補綴系の分野の学びを深めていきました。そのうち、臨床が楽しくなり患者さんとの触れ合いが増えてくると、それまでの自身の中にあった“仕事”に対するイメージが覆っていきました。“形のあるものをこなしていく”といったイメージから“歯医者って人との繋がりの中で仕事ができるんだ…!”という気付きへ、ちょうど2~3年目の時に変わっていったんですよね。感謝をしてくれたり、頼ってくれたりするのが嬉しくて、歯科医師の魅力にハマっていったわけです。学んだことを実践してすぐに人の役に立つ。こんな面白いことはないなと思いましたね。

開業のきっかけ

先輩から誘われたのを機に、研究をして学会で発表するという経験をしました。ゼロから何かができる面白さも知ったことも大きくて、この頃から歯科医師の道に夢中になりました。今の、仮説を立てて論理的に考えられるようになったのはこの経験があったからだと思います。
15年勤めた大学でしたが、今後も自分が好きな研究や臨床を深めていきながら、これまで携われなかった補綴科以外の予防関係や歯周病関係など他の分野の学びも網羅していける環境を…と思った時に、自分が開業して作るしかないな!と考えました。そして、僕はチームで診療するというイメージをカタチにしたいという明確な意思のもと、思い立って40才で開業するに至りました。それぞれの専門分野を持ったドクターと衛生士やドクター同士が何人かでお互いに助け合い協力しあうという、大学と同じような体制を目指し、舵を取りました。
ポリシーとして持っていたのはとにかくスタッフ増やすなら歯科衛生士を。予防をやりたいという想いがあったので、うちは助手なしで100%歯科衛生士を採用しているちょっと珍しい医院に。そして、同様に専門医に手伝ってもらうことを積極的に行ってきました。口腔外科・歯周病・矯正・インプラント・小児歯科などそれぞれの先生方にお越しいただいていろんな処置をしてもらったり教えてもらったりしています。

メッセージ

今後の目標

ズバリ、今いるドクターがスキルを伸ばしていく。目標はこれです。うちの特徴って、ドクター皆がそれぞれ被らない専門分野を持っているので、例えば僕は補綴、副院長はインプラント、他にも働きながら小児歯科の大学院へ通って勉強をしている人や摂食嚥下を学ぶ人、また歯周病の大学認定医の所得を目指す人やMRC矯正を学びたい人など、皆全然違うことをやっているんです。今後も、好きなところを好きに伸ばしていってもらいたい。個のスキルアップが医院全体の総合的なチカラになっていると思います。都度足りないところは、大学から専門医に来てもらったりして、治療の面はこのように組み立てていきます。
また、全体的な方針として、小児歯科に力を入れて専門性を上げていこうと考えています。今後赤ちゃんや妊婦さんにも注力していき、老人は訪問歯科診療を立ち上げようとしています。ゆくゆくは口腔外科にも着手し施設とタイアップしてくと言った構想を練っています。移転開業も今まさに打ち合わせ中で、追々オペ室も入れ、小児の専門のユニット、衛生士用・歯科医師用の自費の診療施設を作っていく予定です。

学生へのメッセージ

歯科医師の仕事は、本当に素晴らしいと思っています。だから、ぜひ夢を持って目指して欲しいです。とは言っても、僕みたいなタイプの人もいるでしょう(笑)ですから、僕は、歯学部で学ぶ誰もが歯科医師になって良かったと思えるような歯科医院を作って待っています!
僕は、有難いことに歯科医師になって良かったと思えるような経験やら関わりやらをたくさんいただいたので、それを返していきたいですし、うちらの歯科医院はそういう場所でありたいなぁと…常日頃思っています。当時の僕みたいなタイプの人でも、夢とかやりがいとかを求めている人にも、ぜひぜひ来ていただければと思います!
また、歯科衛生士の仕事ってもっともっと世の中に認知されるべき仕事だなと僕は思っています。あれだけ濃密に患者さんに頼られ、寄り添いながら、まるで家族のような人たちがたくさん増えていく。本来専門性も高い仕事なので、うちでは歯科衛生士の育成を徹底的に頑張ろうと思っています。ここで磨いたスキルは生涯の宝になり、それととものやりがいが生まれてくる。歯科衛生士の人には、それを実感できる環境にぜひ飛び込んでいって欲しいなと思います!